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奈良時代に建立された国分寺と更級日記の町、上総いちはら

上総市原の歴史

国分寺の建立
国分寺は、今から千二百五十年ほと前、聖武天皇の詔によって、 国の平和と繁栄を祈るために全国六十力所余りに建てられた僧 寺と尼寺からなる国立寺院で、地方の仏教や文化の中心となりま した。 上総国分寺は、その中でも規模が大きく、伽藍も良く整った 代表的な国分寺といわれています。 「金光明最勝 王経」の教えに基づく僧寺と「妙法蓮華経」に基づく尼寺を国ご とに置かれました。 その規模は広大で武蔵・下野の国分 寺に次ぐ大きさででした。 伽藍配置は、南大門、中門、金堂、講堂が南北に並び、回 廊に囲まれた金堂前庭の東に七重塔を配するのが特色です。   

更級日記
『更級日記』とは平安時代の中頃に書かれたもので、日本の女流日記文学の代表作のひとつです。 作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)という女性。 彼女の少女時代からはじまる約40年間の回想録となっています。 菅原孝標女は、「学問の神様」で有名な菅原道真の子孫で、伯母の藤原道綱母は、これまた平安時代の名著『蜻蛉日記』の作者でした。 『更級日記』の冒頭のあらすじを現代語で紹介しますと:

東の果ての常陸国(現在の茨城県)よりさらに奥まった上総国で生まれ育った私は、田舎臭い娘だった。そんな私は、ふと、世の中に物語というものがあるのを知って、それを読みたいと思っていた。暇な時に姉や義母が、光源氏の物語を断片的に語ってくれた。私はその物語を最初から最後まで聞きたいのだけど、姉も義母もしっかりとは覚えていない。 それがもどかしくて、私は等身大の薬師如来像を作らせると、『早く京に上らせてください。京で物語を読ませてください』と毎日必死に祈った。 私が13歳になったとき、父の上総国での任期が終わって、京に上ることになった。 引っ越しのために、長年親しんだ家を解体し、人々は忙しく働いていた。 日が沈む頃、深く立ち込めている霧の中、車に乗ろうとして家を振り返ってみると、薬師如来像が立っておられた。 薬師如来像を捨てなければならない悲しさで人知れず泣いた。

上総市原の国分寺跡と国府祭りを巡る写真

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上総国分尼寺跡展示館
    

館展示されていた史跡地図

国分尼寺跡復元建物遠景

上総国分寺跡表門

上総国分寺跡山門
    

上総国分寺七重塔礎石跡

現在の国分寺本堂

上総国分寺金堂跡

ゆかりの上総更科公園
  

上総国府祭りのイベント会場
  

時代絵巻行列
  

時代絵巻行列

上総市原国分寺跡及び国府祭り巡り地図

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時代絵巻行列の動画:


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