高遠に就いて
高遠は今から8年前、平成16年の夏に南アルプスの仙丈ケ岳に登った折に通ったことがあったが、
城址公園のコヒガン桜の満開時には何時か行ってみたいと思っていた。
然し、桜の時期にはそこに通ずる山道の渋滞が悪名高く、
未だにその気になる機会がありませんでした。
偶々、今年の冬は寒さが長く続き全般的に桜の開花時期が1週間程遅れていたためにシーズン最後の花見ツアーが最もタイムリーな機会になって、
渋滞も避けられるのではないかとの予想でツアーに申し込んだのが見事に当たって、山道の渋滞にも巻き込まれることもなく、まさに快晴の天候のもとで満開の桜を楽しむことが出来た。
歴史的には高遠城は戦国時代、武田信玄の家臣であった山本勘助が築いた堅城で、城主は武田氏一族が務めた。
別名兜山城ともいわれる。1582年(天正10年)、城主・仁科盛信(信玄五男)の時落城するが、この時籠城していた信玄の娘・松姫(盛信の妹)と、
攻城軍の総大将織田信忠(織田信長嫡男)は元婚約者同士であり、落城にまつわる悲劇として知られている。
江戸時代になると高遠藩の藩庁となり、京極氏、保科氏、鳥居氏と城主が交代した。
1691年(元禄4年)に内藤清枚が3万3千石で入封。以後、高遠城は内藤氏8代の居城として明治維新を迎えた。
明治5年、新政府の手によって城内の建物は民間に払い下げられましたが、城跡には旧藩士らの手によって「桜の馬場」 から桜が移植され、明治8年に公園となった。タカトウ・コヒガン・ザクラはその頃から植え始められ、樹齢130年を越える老木を含め、現在では1,500本の桜樹林となっているそうです。
旅行の行程
平成24年4月24日(火)
- 04:40 起床 洗面の身支度のみする
- 05:30 マイカーで自宅を出発
昨夜来の雨はまだ残っている
途中、コンビニで朝食のパンとお握り
を買い求める。
- 05:50 旅行主催のバス会社に到着
- 06:00 バスがバス会社を出発
途中京成おゆみ野駅前とJR千葉駅前
で参加者を拾って行く
- 06:30 京成津田沼駅前で最後の参加者が乗る
参加者は合計36名にガイドが同乗
- 07:00 湾岸道路の市川SAでトイレ休憩5分
- 08:30 談合坂SAで15分のトイレ休憩
この時点で天気は完全に快晴となる
ガイドの説明によると、戦国時代に
北条氏と武田氏がここで和議調停な
どの交渉を行ったという説があるとい
う。
- 08:40 大月の手前で真っ白な雪を戴いた
富士山
が一瞬姿を見せる。

- 10:30 甲府盆地に入り、勝沼の辺りで一帯の
果樹園の桃の花が盛りだ

前方に南アルプスの白根三山が臨まれ
た。右から北岳、間ノ岳、農鳥岳
- 10:35 韮崎を過ぎて近くの山の新緑と甲斐駒
の色が対照的だ

反対側には八ヶ岳の山々が臨まれた

- 11:50 茅野のドライブインおぎのや着
ここで昼食の峠の釜飯を購入
- 12:00 ドライブインを出発し急なジグザ坂を
登り杖突峠を越える。
- 12:20 高遠城址公園の駐車場に到着
駐車場から見上げる桜に圧倒される

- 12:30 〜 14:50 高遠城址公園内自由
散策
- 14:50 バスは帰路に着く
杖突峠より臨む蓼科山と茅野市街
- 15:50 茅野のドライブインおぎのやに到着
トイレとお土産休憩30分
- 17:55 石川SAで15分のトイレ休憩
- 18:40 京成津田沼駅前に到着
- 20:37 終着バス会社に到着
- 21:00 無事自宅に帰着
高遠にて長兵衛が詠める:
登りきて バスを降りるや 花の森
花の色 越えて眺める 峰の雪
花しずか 絵島の部屋に 時しのぶ
茅野のドライブインから高遠城址公園までのルート地図
ルート地形の断面図

駐車場からグランドゲートを入り階段を登った所で昼食を摂る
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北ゲート傍の高遠閣前の広場の賑わい
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南曲輪(くるわ)から中央アルプスを臨む
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空堀を俯瞰する
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法幢院曲輪より南アルプスの仙丈ケ岳(3,033m)を臨む
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絵島囲み屋敷入口
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絵島が囲まれた部屋
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桜雲橋
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高遠公園の碑の前で
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絵島生島事件:
正徳4年1月12日(1714年2月26日)、七代将軍徳川家継生母月光院に仕える御年寄・江島は月光院の名代として前将軍徳川家宣の墓参りのため、寛永寺、増上寺へ参詣。その帰途木挽町の芝居小屋・山村座にて生島の芝居を見た。芝居の後、江島は生島らを茶屋に招いて宴会を開いたが、宴会に夢中になり大奥の門限に遅れてしまった。
江島は生島との密会を疑われ、評定所から下された裁決は死一等を減じての遠島(島流し)。
月光院の嘆願により、江島についてはさらに罪一等を減じて高遠藩内藤清枚にお預けとなった。 絵島はこの囲み屋敷で亡くなるまでの28年間幽閉されていたという。
当時、大奥内には、前将軍家宣の正室・天英院を中心とする勢力と絵島が仕 える将軍の生母月光院を中心とする勢力がその権勢を競っていました。この事件は天英院や老中秋元らにとっては、勢力を挽回す る絶好のチャンスとなり、その勢力の陰謀で起きたとの説もあります。